三日月美術

商品詳細

PRODUCT DETAILS

〈特別保存刀剣 / 最上作〉村正 短刀

03-0001

在庫状態 : 売約済み

価格 : -----

  • 表銘:村正
  • 裏銘:-
  • 時代:室町中期
  • 刃長:27.6cm
  • 元幅:28.1mm
  • 元重:6.2mm
  • 反り:二分
  • 先幅:16.4mm
  • 先重:4.1mm
  • 目釘穴:2個
  • 鞘を払って:-
  • 刀身のみ:183g
  • 登録:東京都

日本美術刀剣保存協会「特別保存刀剣」付
刀苑社「最上作」認定書付

◆村正の活躍した時代
現代の研究では、村正は室町時代中期を初代とする刀匠だとされていますが、具体的な年代がいつ頃か、また何代あるかということは未だ断定されていません。年紀銘のある最古のものは文亀元年(1501)であり、これよりやや時代が上がると思われる二字銘の作が現存しています。佐藤寒山・本間薫山両氏はこれらを初代(右衛門尉)の作と見て、延徳(1489-1492)頃からの刀匠としています。また二代(藤原朝臣)は天文初期(1532-1539)から、三代は天正(1573-1592)から、後代は新刀期の寛文8年(1668)まで続いたと考えられています。

◆来歴と師弟関係
生誕地は美濃国の関、または赤坂とされ、この地で美濃伝を修行した後に伊勢国桑名へ移った説が有力です。末関、兼永との合作刀があり、関鍛冶との繋がりが強かったと考えられ、和泉守兼定と交流があったとも言われます。平安城長吉にも師事し、後代の長吉が逆に二代村正の弟子になったとする説もあります。
伊勢桑名に移ると楠木正成の嫡流玄孫(直系の孫の孫)である楠木正重を弟子とし、村正・正重は千子派といわれる一派を形成します。大楠公の子孫、と師弟の契りを交わしたことから、村正を勤王刀匠とみなし、徳川に仇なす妖刀という伝説に脚色されたのかもしれません。
なお、弟子の正重は村正に劣らぬ名匠で、諸説ありますが本多忠勝の「蜻蛉切」や酒井忠次の「猪切」の作者とも言われます。

◆村正は千手観音の申し子?
「千子」は伊勢の千子村という地名からというのが通説ですが、桑名の郷土史には、初代村正の母親が千手観音に祈って授かった子という伝承があります。こちらの説に拠ると、村正は美濃出身ではなく、伊勢桑名の地で誕生したということになります。

◆村正は正宗の弟子?
村正は妖刀伝説の風評が広まる以前から当代最高峯の名声を確立しており、二代村正は「藤原朝臣」と銘にあることから五位の位階を得た貴族であったようです。慶長(1596-1615)写本の「極論集」では正宗と見るほどのものがあると評され、戦国期から正宗と比較されるほどの著名工でした。豊臣秀吉や前田利家も褒賞として村正の作を下賜することが度々あったようです。
古剣書の多くでは、往々にして村正を正宗の門人とされています。有名な逸話をご存じの方も多いのではないでしょうか。「正宗と村正の刀を、刃を上流に向けて川に立てたところ、木の葉は正宗の刀を避けるように流れ、村正には吸い寄せられるように真っ二つに斬れていった。」正宗と村正を対比し、斬れるのみならず、遠ざけるだけの徳があってこそ名刀だと説く例え話です。
また、桑名を通りかかった正宗が、村正の刀を打つ槌音から「刃切れ」を看破され弟子入りしたという御伽話もあります。
いずれも面白い話ではあるのですが、正宗は鎌倉後期(嘉歴?/1326-)の刀匠であり、現代の研究では否定されています。

◆村正の人物像
 妖刀伝説が広まると、「その人となり乱心」と中傷されますが、実際には人が行き交う桑名を本拠地に選び、交友関係が広く研究熱心、他派の刀工との合作刀を何振も作っています。加えて、法華経の題目を彫った「妙法村正」を始め神仏の加護を祈った傑作が多くあり、市内の各神社には千子派による寄進刀も残り、信心深い敬虔な人物であったと思われます。

◆妖刀から宝刀へ
村正は現代刀として使用されていた時代から斬れ味比類なしと評判でしたが、良くも悪くもその名を一躍有名にしたのが「妖刀」としての伝承でしょう。徳川家康の祖父・清康が家臣に村正の刀で暗殺されたことに始まり、徳川家に禁忌とされる妖刀として伝わるようになりました。
江戸中期頃からは、徳川家だけでなく所持した者を祟る・魅了し狂気に染める妖刀として世間一般に浸透し、銘を改ざんされるなどの憂き目に遭いました。一方で倒幕の象徴として反徳川の志士には支持され、西郷隆盛や三条実美、伊藤博文も愛用したと伝わります。
明治時代には村正を題材にした「吉原百人斬り」(籠釣瓶花街酔醒 )等が大ヒットし、血を見ねば収まらぬ刀という虚構が枕詞の如く定着します。
この妖刀伝説は徳川家康の没後に広まったものであり、典拠が曖昧なものが多く、また家康の遺品に村正の作が残されており、家康が村正を忌避していた事実はないという見解から、村正の故郷である桑名では過剰に脚色された妖刀伝説の虚実を明確にし、”妖刀から宝刀”へ評価を見直すべきという声も広まり、今後も注目される刀匠です。

 


 

≪姿≫菖蒲造、身幅広く、重ね薄い。鎬高く棟は薄い。
≪地鉄≫板目肌立ち、所々大肌交じる、鎬地柾が流れる。鎬筋に沿って映りごころ。地沸良く付き、地鉄精良。
≪刃紋≫焼き落としに直刃、二重刃頻りに掛り、表裏揃う。刃縁の沸匂深く明るく冴える。
≪鋩子≫先尖って僅かに掃き掛け、火炎風の飛焼き交じえ小丸に返る。
≪茎≫生ぶ、タナゴ腹強い村正茎。二字銘、切鑢、剣形尻。鉄味良好。
≪鎺≫金着せ二重鎺

※個人所蔵刀のため、店頭にはございません。

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